三月日記

やよいです。趣味や好きなものが特にないな、そんな方に向けたつぶやききを綴っております…

ブログと私

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

どうも、彌生です。

今回は、私がブログを綴る理由について語りたいと思っております。

 

 

では、何故綴るのか。

それは、

 

寂しく、貪欲な人間だから。

 

毎日、誰かに話したいのです。

今日感じたこの気持ち、

一瞬だけど惚れてしまったあの人のこと、

昨日はわからなかった言葉の意味を。

 

だけど、

考えを見透かされるのが怖いから、

友人には言えなくて、

なんだか、恥ずかしいから、

家族には言えなくて、

 

いつも、自分の日記に書き留めていました。

横殴りの文字で、誰に見せることなく、ひっそりと。

 

私の日記は寂しいものです。

 

久しぶりに遡ってみると、

2023.8.05

記憶にナイ

そう、ぽつんと書いてありました。

もう、書くことに飽きていたのだな、と思う一文でした。

 

他の頁をめくれど、

あぁ、どうして自分はいつもこうなんだ

と、反芻思考を綴るばかりでした。

 

そんな日記だけど

たまに、解決策も書いてありまして、

 

気持ちが沈んだときに聴くといい音楽、

読むとよい小説の頁数、

救われた言葉。

 

全て、

反芻思考から抜け出すカギになる言葉たち。

 

そのカギは、

誰かが自分自身それ以外の人間残した言葉たちだった。

 

そう気がついて

いつの間にか、反芻思考ではなく

 

自分と、誰かのために何かを残す。

 

そんなことができたらいいなぁ、

という思考が脳内を渦巻いていました。

 

 

その何かの始まりが、このブログだったんですね。

 

自分の中だけにとどめておくには勿体ない考えを、

共有できたらいいなと、

私と同じような人間の役に立ててくれればいいなと、

そう思ってこのブログを綴っています。

 

しかし、いざ始めて見ると

書くということは簡単ではありませんでした。

 

日に日に、記事に星が光って、読み手が増え、

寂しさは埋まったけれど、もっともっと誰かに届いてほしいと思うようになりました。

 

ある日、

どういう私であれば、どんな文章を綴れば、読み手に受け入れられるのだろう。

と、考えるようになりまして。

 

その日から、パタりと

キーボードを打てなくなりました。

 

私と同じような人間のために書いていた日記は、

いつの間にか、私でない誰かに寄り添おうとする不安定な日記になっていったように思います。

 

だから、また自分の声に耳を傾け、

どんな言葉を欲しているのか静かに待っていました。

 

その言葉は、

140字の綺麗にまとまったものではなく、

15秒のキラキラした動画にまとめた収まりの良いものでもなく、

 

 

もっと長くて、曖昧な矛盾したものでした。

それでいて、私とは何なのかに向きあえるもの

 

 

寂しさは貪欲になって、

その都度、自分と向き合って

ブログを綴って、

ある日、

誰かの日常の為になった。

 

なんてことが起きるのは

ブログなんだろうなぁ。

 

 

そんな考えが今の執筆に至るのでしょう。

 

夜、寂しくなって

この日記を綴ります。

 

寂しく、貪欲な人間の

どうしようもない夜の痕跡なのです。

 

それでは、また。