三月日記

やよいです。趣味や好きなものが特にないな、そんな方に向けたつぶやききを綴っております…

彼我、矛盾

甘い飴しか持っていない人に辛い飴をくださいと言ったら、ありませんって言われた。

だから、私の欲しい飴はくれないけど、いつも違う味の飴をくれる人に出会ったのかもしれない。

近頃恋愛をする気がさらさらない。

恋愛をしようとおもっているうちは

永遠に出来ない気がするけど。

ひょんなことからなんて展開、あるのかしら...

 

どうも、彌生です。

愛なんて、恋なんてわかってたまるかって、

ずっと迷走していたい、そんな日々。

 

だから、

 

寂しくなると、恋をしたくなる。

恋愛映画を観ればさびしくなる。

 

それで、ふと気が付いた。

 

私にとって恋人は、

寂しさを満たしてくれる人間なんだと。

 

そんな気持ちで過ごしてきたものだから、

いつも1人になっちゃうのかしら。

 

 

寂しさで付き合った人間は

 

寂しくなくなったら、

必要じゃなくなる。

 

 

恋愛において恋人とはなんなんだろう。

 

きっと、

もっと寂しさというものと、

その瞬間を感じさせてくれる人間。

 

寂しさを紛らわしちゃくれない人間。

 

 

それが私の恋人。

 

 

もし恋人にやさしさを望むなら、

``世の中やさしさだけじゃあ、やっていけない``と

 

容姿飾りを望むなら

``人間、フィルターなしで見ればちゃんと動物なんだ``と、

 

お金を望むなら

``これはただの数字に過ぎない``と、

``君は同じ数字に値する温度があるのか``と

 

そんなことを言ってくれる人が恋人でしたっていう

オチもありなんじゃぁないかと、

そう思うのです。

 

人生に優しさなんていらないと気づいたとき、

新しく恍惚とした人間の着ぐるみをみつけたとき、自分で富を築いたとき、

 

すべていらなくなる。

 

すべていらないといわれる。

 

ほしいものは手に入れたら終わってしまう。

 

だから、それいるかな?

ってものをくれる人間こそ恋人に。

 

後できっと言葉にできないほどのものになる。

 

人に求めるものは自分に足りないもので、それを公言するのは

不足を丁寧に教えているようなもの。

 

好きな人間ですか。

自分と似た人かな、それでもって逆の人。

 

そういわれた日には、

 

どこか寂しくなって、

もっと、あなたを知って…

知れば知るほど

あなたにはなれないし、そうせざるを得ないんだといわれた気がして、

 

もう、あなたのための何者かになる必要がなくなって、

 

気が付いたら、

 

 

そういう人間のほうが案外自立していて惚れてしまいそうなものです。

 

追記

 

人間は気が弱くなると安心を求めるのだと。

そして、

他人に執着しては執着され、

共依存関係のできあがり。

 

もたれ合い傷のなめ合いの関係は時を止めてしまう。

愛するあの人の錘になり、錆び、奥底に沈んで、

 

何も見えなくなる。

 

だから自立しなくてはならないのだと。

 

 

それでも私たちは人間で、

相互依存なしには生きていけないのだと。

 

 

自立できている人間の特権が

相互依存なのだと痛感。

 

この寂しさを満たしてほしいと思ううちは

自立できていない合図なのかしら。

 

そんなことを思った数日でした。

 

本日も、

お付き合いいただきありがとうございます。

 

誰かへ

寂しさを与えられる人間になりたいものです。

 

それでは、また。